2015年07月17日(金)
カテゴリー:3つの教育の柱の取り組み
言葉の交流
幼い頃、毎晩毎晩母に本を読んでもらったことは、今でもはっきりと覚えている。中でも思い出の本は「からすのパン屋さん」だ。その絵本には、パンを作る過程で〝からす〟が感じる「香ばしいにおい」や「こんがり焼けた色」「ふっくらとしたパン」などの表現があり、想像をふくらませることができた。
読んでもらううちに、お気に入りの本は図鑑だったり歴史の本だったりと、本の幅はひろがった。母に読んでもらうことで自然に私の心に届き語彙も増えていった。中には難しい接続語や理解不能の単語もあった。あれこれ考えながら、その言葉の意味を想像したり、母に聞いたりした。さまざまな質問に母は丁寧に答えてもくれた。そんな言葉に触れられるのも、読書の魅力だった。
母に読んでもらうことを重ねたことが、小学校へ行くようになってから、国語の時間に、自然と主語や述語が分かったり、物語の人物像を直接書いてないことも含めて読み取ったりする力がついていたことにつながっていたのだと、最近改めて思う。
読書を通して、多くの言葉に触れることが、自然と心や知の世界を拡げるし、そのことで多角的な思考ができるようになる。
言葉を受け取り理解すること、言葉で思いを伝える、そういう「言葉の交流」こそが、直接言葉を交わすことが減った「デジタル世代」に必要なことではないか。学校ではそういう場面をたくさん準備したいと思っている。 (教員ST)